「うちの子に限って!」なんてのは常套句だけど……
「私に限ってそんな事は絶対にない!!!」と断言しよう。
私は両親、ことに母の様な生き方、人生、考え方、感覚、思考のくせ、人との付き合い方は絶対に嫌だ。本当は…彼女はすごい力というのか能力を持っているのにも関わらず、夫のせいで!(わたしの父のことね)義父母のせいだ!あの社長がー!ママ友は!
そして、結論としては、、、だから私は出来ない。というのを正当化する術に、道具に、加害者に仕立て上げている。
自分の周り全てを加害者にした時に発生することがある。
彼女は見事に「病気」を創りあげたのだった!
頭痛を抑えるために服用した市販鎮痛薬○ふぁりんで、アナフィラキシー(当時はこんな言葉を知らなかった)を発症し、真夜中に救急搬送。
以来、現在に至るまでその後遺症と共に生きている。
私は小学5年生頃から、いつも母のケアと傾聴をしてきた。それが母のためになるのだと当時の担当医の言葉を素直に受け止めて。母の負担を減らすように、と努めた。私なりに。
なので傾聴暦はざっと、40年!!!🤣
友人と過ごす時も基本姿勢は…話す側というよりは聞いて聞いて笑ってる方が楽しくて、楽に感じたし、聞いてもらうとスッキリする、ホッとするとよく言われた
ただ、友人の話を聞くのと、母の話を聞くのとではずいぶんと差があるものだ
義父母の、つまりわたしのおじいちゃん、おばあちゃんのことや親戚、遠い会ったこともない親戚や、天国にいる親戚の話や、、、やはり近い距離の人たちの話は子どもには若干ヘビーだったかも。
たくさんたくさん、何時間も、何回も何回も聞いているうちに、
わたしならこうするなぁ〜というアイデアが💡浮かぶ。
たまーに、こうしてみたら?こう考えてみたら?と提案してみるも凝り固まった心はなかなか溶けない。そりゃそうだ。渦中にあるものにとっては、その現象にピッタリ貼り付いてその物事を見て、体験しているから。(今ならそこがわかる)
高校2年の時、精神世界や当時のムーブメントだったニューエイジや古典である神秘思想をしる。
占いやタロットではなく、学者や研究者が紐解いているものも多く ここになにかこの状況を打破できる何かがあるかもしれないと、ずるずるとその世界に傾倒しつつあった。
病、病気とはなるものではない。自ら創り出すものもある事をしる。海外ではそれこそ怪しい心霊治療で、きちゃないおっちゃんの素手がズブリっと患者のお腹に突っ込まれてーーーーーしばらくお腹の中をまさぐった後、おもむろにスポッと抜く。すると、おっちゃんの手にはクギだったり、変な異物が握られてて💦これが病気の原因だと。。。
患者さんはスクッ起き上がり、スタスタと元気になって歩いて帰る、、、そんな世界があったり。
アガスティアの葉や、サイババの研究をしている青山さんの書籍にむさぼりついたり、、、あの砂があれば母の病気は治るかな?とか思いを馳せてみたり。
本や知人から紹介された中で、手当てや、ひまし油、当時の健康食品やサプリ、十字式、プルーン、水……他にもいろいろ見聞きし、体験したものもたくさんある、全ては思い出せないが。
高校を卒業する頃にはうすうす、短大を卒業する頃には確実に私は母のような生き方はしない。と決めていた。
まぁ、俗に言う家庭崩壊していましたが、父が教会学校の校長先生をしていたりたくさんの方の相談に乗っていたりしており、周りの目があるために、、、そう、まさに、世間の目を気にして家庭崩壊していた事は極秘であった。
というより、家庭円満で少し身体が弱いが良い妻、良い母、そして良い姉妹という体裁を演じて生きているのが当たり前だった、、、と言うことに大人になってから気がつくくらい自然な事だった
母が元気になれば全てが丸く治ると。
母の娘となって50年が過ぎた今。
母のようにはなるまい!
母のような生き方はしない!
という指針の元、真逆の生き方をしてきたと自負している。周りともうまくやって、笑顔で。
私自身の経済をゼロからスタートして、専業主婦どっぷり15年の私が正社員になり、離婚の道へと決意し、行動した。
母にできなかった事、しなかった事をたくさんやってきた。母とは違う選択をして私の人生を切り開いてきた、だからこそ、しあわせを感じる今があるんだと。
でも、昨日降ってきた言葉
親のコピペやめたつもりやろ、それ、ホンマにコピペやめたと思っとぉんか???
ええええええええええーーーーーー💦
そして、、この続きはまた今度お話ししたいと思います(^^)
つづく😊
芽吹き始めた桜🌸と飛行機雲✈️
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