「声の大きさで正しい、誤っているが判断されるのではない。」
これはある方への昨夜のETRで感受したメッセージ。
そして私が外食時に体験したことに共時性が❣️
大声を出す、怒鳴り散らす、呼びつける、よく通る声だから さも仕事をしている風に見える、頑張ってるように見える、大きな声だから至極真っ当なことを弁論しているように聞こえる……
どれも私の実体験💦(元旦那ね)
先日外食していた時に体験したのがまさにこの 「大声出せばみんなが言うこと聞くと思っている勘違いおじいさん」だったのです。
妻らしきおばあちゃんは、食事の準備をしていただけなのにひどく嫌な表現で「早くこっちに来て ここに座れ!」と。
おばあちゃんはびっくりして飛び上がり小走りで戻っていましたが
私もすぐ近くで食事を楽しんでいたので、大声と表現にびっくりして
とびあがっちゃいました。
大きな声を出せば誰でも言うことを聞く とか
これこそが正論なんだ とか
俺は間違っていない とか。
そしてこの方法はかなりの確率で一旦は上手くいく ように本人には見えるのです。
大声を出して要求すれば望みどおりになるという勘違い成功法則!
みんなびっくりして、自動運転でその大きな声での指示に従ってしまうからね。
でも本当はわかっている。
大きな声で、怒鳴られたり、指示されたことの多くはただただその人の感情をぶちまけてスッキリしたかっただけだったと。
矛盾に満ちていたとしても、この場は従わせたかったと。
それは本質とは違う と。
なので、トキが経つごとに疑問や疑惑、不信などが湧き上がる。こちらも感情がじわりじわりと熟成されてゆくから。
でもいつしかそれにいちいち反論する気力も経済も心もすり減った時には、すっかり洗脳されて「私には力がない」という偽りを信じこまされている。日々の雑多すぎる事柄に忙殺されて……それも気付かないうちに 私の中の本当のわたしは奥底に隠れてしまう。無かった事にする。
全ての感情を封印する。
それは、
私がわたし自身を殺した
と言っても過言ではないのではないかと。
それは家庭内に限らず、職場でも学校でも地域でも。
大きな声を出すだけで、仕事している風に見えたりするし、口が立つから正論のように聞こえてしまったり、こじらせるとさらに厄介になるからしゃーなし(しょうがないけど)指示通りしようか、、、とか 周りは萎縮し何でだかそれに従ってしまっていたり……
この勘違いおじいさんの大声にびっくりしたおかげで
この古い世界、旧式の意識に住んでいない私を再確認することができました!
ありがとう
みんなで一緒に自分が創る新しい世界へいこう!
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